エネルギールネッサンス −分散システムへの潮流−

笠木 伸英

東京大学大学院工学系研究科

今年は“日本におけるイタリア年”とのことで,各地で関連行事が企画されている.フィレンツェ,ヴェネツィアの都市国家,そしてローマに芽吹いた人間回復の躍動は,我々の心を惹いて止まない.ボッティチェリ,ラファエロ,ティツィアーノの絵画,ミケランジェロの彫像,ダビンチの科学的スケッチ,ブルネッレスキのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂ドームの設計模型など,美と巧みの秀作に感動を新たにした方も多いのではないかと思う.現代の我々の位置する時代的座標軸にエネルギー需給のあるべき姿を重ねて見るとき,エネルギールネッサンスとも言うべき新しい潮流が見えてくる.

21世紀初頭の時代的座標軸

言うまでもなく,エネルギーと環境の問題の解決は,人口や食料と同様に,今後我々が地球上で文化的生活を持続できるかどうかの鍵である.そして,これらの問題を考えるとき,ミレニアムが単に区切りのよい千年期の通過点というだけでなく,我々の生き方さえも問う根源的な意味を持っていることに思いを馳せる必要がある.先の読みにくい今の時代を考えるとき,過ぎ去った時間との共生を試み,改めて話題に上ることの多くなったエネルギーシステムのあるべき姿を展望してみたい.

新世紀のキーワードは技術革新,グローバリゼーション,規制緩和であろう.科学技術の開発は,バイオ,ナノテクを始めとして急速に進展すると予想され,また産業構造や社会制度の変革も進むに違いない.情報化,ネットワーク化,高速輸送網整備が進んで,人,もの,情報の移動に対する国家,国境の障壁は一層低下する.ボーダレス化した国際関係は質的な変化を余儀なくされ,地域間や文化間の齟齬も表面化するかもしれない.一方で,人類は,地球規模で解決すべき問題の深刻化とともに,文化的生活,福祉,倫理,個人の尊厳などをいかに担保するかについても解決を迫られている.

さて,過ぎ去った20世紀とはどんな時代だったのだろうか.まず,“右肩上がりの時代”であったということができよう.技術の発達,産業の発達が生活の向上をもたらすと信じられていたのである.そして,“予測ができた時代”でもある.テレビ,携帯電話,東京ム大阪3時間,月旅行など,我々が夢見たことの多くは,すでに現実になっている.将来の目標やゴールが,「坂の上の雲」のように見えていたからである.この間,工学と技術は細分化と深化を繰り返し,目覚ましい速度で発展し,産業を支え,そして間違いなく社会の要請に応えてきたといえる.大量生産,大量消費は,組織として効率のよい企業体や社会構造を優先し,集団としてのまとまりと秩序はその要であるとされた.いわば,個の埋没が進んでいったともいえる.

20世紀の思潮において,さらに見逃せない特徴の一つは,人間中心主義の自然観であろう.自然を捉えるとき,それはまず克服すべき制約と考える.気候変化,自然災害,疫病,そして人間の肉体的な限界をも制約と考え,これを克服するために様々な道具,機械,人工物を作り出した.また,自然は,食料やエネルギーなど有用性を生み出す価値であるとも捉えられ,従って私有する対象としての土地や狩猟権・栽培権が設定され売買の対象にもなった.このような人間が自然に加える行為には,自然を克服し利用することこそ,人間の主体性の発露と自由の拡大に他ならないとする,合理主義的な思想が貫かれていたのである.

このような20世紀の単なる延長として新世紀を展望できないことは,多くの識者がすでに指摘するところである.そうだとすると,世紀の分水嶺に立った我々は,何を基軸に人類の将来,社会の将来,エネルギー需給の将来を考えるべきであろうか.

宇宙船地球号の乗客者たち

地球の誕生は46億年前,地球上に原始的な生命が誕生したのが約30億年前と言われる.2.4億年前から6,500万年前までは巨大な恐竜たちが闊歩した時代である.数百年前になって人類の祖先が現れるが,この時代は人間一人が生き延びるに必要なエネルギー消費は,2,000 kcal/日程度であったであろう.数十万年前になって火を使って生活を営むようになると,エネルギー消費は5,000 kcal/日に増加する.1万年前になると人類は農耕牧畜を始め,12,000 kcal/日というエネルギー消費を可能にする.この時代にいたって,人類はそれまでの地球上の生物の一員から,自ら能動的に資源を掘り出し,エネルギーを変換,消費する特別な存在に変質する.つまり,生物圏という枠組みを抜け出し,巨大な人間圏を独自に作り出したのである.

この人間圏のエネルギー消費は,中世に石炭を燃やし,風車や水車を回した時代には26,000 kcal/日,そして産業革命以降,熱機関を使い始めると一気に77,000 kcal/日に増加する.現代のアメリカ人は230,000 kcal/日のエネルギー消費をしていると言われ,これは100人以上の人間が生き延びるために必要とする量である.人類のエネルギー消費総量は地球に降り注ぐ太陽エネルギーの1万分の1のオーダーであり,それ自体が問題とは言えないが,エネルギー大量消費に伴う資源枯渇の恐れや温暖化効果ガスの排出は,地球の生物圏,物質圏にとってさえ脅威といえる.

恐竜は滅びてしまったといえども,巨大隕石の衝突まで1億年以上にわたって地球上に生存したのであり,それに比べ人類はまだ数百万年しか生きておらず,しかも前世紀の50〜100年の間に社会の姿を一変させてしまった.この未曾有の変革の速度をもって,人類は自然の克服を可能にし,利便性の高い生活を手にしたが,一方で人口爆発,資源枯渇,環境破壊といった“現代の邪悪なるもの”をもたらしたのである.もはや生物圏へ回帰することのできなくなった人類は,宇宙船地球号の乗客者として,どのような知恵を集結して,未来の訪問者である子孫たちにその舵取りを受け継ぐのかが問われている.エネルギー需給に関して,筆者は,個人に隣接した小型分散システムがその答えのひとつになり得るのではないかと考えている.

小型分散システムへの潮流

1882年に発明王トーマス・エジソンは,ニューヨーク・パール街で6基の石炭炊きボイラと往復蒸気機関を使って33kWの直流電力を発電し,初めて電力供給事業を開始した.その後彼は,シカゴをはじめとする12の都市で分散発電を計画するのである.続いて,欧米の主要都市に数千kWの分散電源が導入され,また,100kW程度の小型電源が,小工場,デパート,ホテル,農園などに設置される.20世紀初めに,全米の発電量の半分以上(1907年で59%)は分散発電に依っていたが,これらの多くは地域暖房や余剰電力の配送も行っていた.しかし,同じ頃から,蒸気タービンの普及と交流の高圧送電技術が開発され,発電所は大規模化してゆく.そして,1920年以降Economy of Scaleを追求する技術開発と各国政府の地域独占発電事業の促進によって,1980年代まで発電プラントの大型集中化が続けられた.
発電所の最大規模は,1920年の8万kWから,1960年に60万kW,1980年に140万kWと飛躍的に増加したが,一方で環境問題や原発事故などの負の問題が顕在化した.E.F.シューマッハーの著「Small is Beautiful」が出版されたのは第一次オイルショックの1973年,またA.B.ロビンスの「ソフト・エネルギー・パス」が出版されたのは1977年である.1980年代以降,より小さく,経済的な発電装置の登場によって,電力事業自由化は加速した.加えて旧東側諸国の崩壊,米国主導の産業構造改革は,電信電話,航空,金融,そして電力事業の世界的な自由化への道を拓いてきた.IPPや電力会社は,コージェネレーション(CGS),風力発電などによって,エンドユーザーの近接地でより小規模の分散発電を行う傾向がある.ちなみに,米国の発電所の平均規模は,80年代の20万kWから1998年に2.1万kWと急減したが,これは今世紀初頭の数字とほぼ同じである.エジソンが120年前に夢見たものが,今改めて現実となってきた.

米国World Watch Instituteの試算によれば,小型分散システムは10年以内に米国の電力市場の約1/4を占める600億ドル市場となると予想され,また今後20年に渡って世界で200兆円の投資があると言われる.それらの中核技術は,燃料電池,マイクロガスタービン,ガスエンジン,太陽電池,風力タービンなどである.これらの新技術に対する研究投資は各国で盛んで,特にアメリカ・エネルギー省の主導は,小型分散システムのエネルギー変換機開発への強い意欲が感じられ,注目に値する.例えば,50kWの建物CGS用のPEM型燃料電池の開発研究を主導し,運転温度120〜150℃,発電効率36%,寿命4万時間以上,価格$1500/kWを目標にしている.マイクロガスタービンに対しては,今後5年程度の間に,高清浄で,多種燃料対応,経済性に優れた,40%にも及ぶ高効率の新機種開発の目標を掲げ,数十億円の研究開発投資を行っている.さらに,効率60%を越えるマイクロガスタービンと燃料電池のハイブリッドシステムに対する研究開発にも熱を入れている.

分散システムは,エネルギーの系統的な利用を可能にし,高い総合エネルギー利用率を実現することができる.表1は,小型分散システムがいかに大規模集中発電を補完するのか,その優位性がどこにあるのかをまとめたものである.小型分散システムには,建設導入が容易で,電力供給に柔軟性を付与し,省エネルギー・環境負荷低減に寄与し,新たな経済効果も期待できるなど,優れた側面が多々あることは明らかである.

エネルギー・ルネッサンス

新世紀の我々が今を生きることには,エネルギー・ルネッサンス(Renaissance:再生,文芸復興)ともいうべき視座が相応しいのではないかといえる.まず,前述のように,歴史を遡れば,地球の生命圏の構成員にすぎなかった人類が,多量のエネルギーと物質を利用する技術を手にしたことを,手放しで喜ぶわけにはいかない.人間中心主義に基づく価値観には,人間もまた自然の一部であるという本来の関係に立ち返って見直すべき点もあるはずである.文化的な生活を維持しつつ,人間圏を少しでも自然循環の中に組み入れる基本姿勢が必要である.
第二に,前世紀にスケールメリットを求め続けて完成されたエネルギー需給構造にとって,エジソンの発電事業に改めて学ぶべきものが見つけられる.それは小規模分散のシステムであり,近距離直流のマイクログリッドとも言うべきものである.今後有望と目される燃料電池やマイクロガスタービンなどの技術がその役割を担うことになる.燃料,電力,情報のネットワークの融合が計れれば,個人や,小口ユーザーの近接地に多種多様のエネルギー輸送・変換・利用を可能にする未来システムが構築できることになる(図2).集中と分散のベストミックスを達成する,統合化分散エネルギーシステムの実現には,新たな知の創造と体系化,構造化が必要である.

そして,第三に,これが最も重要なことであるのだが,今までを生きた者,これからを生きる者の,価値観の共生を育てることである.イタリア・ルネッサンスとは,5世紀のローマ帝国滅亡後の長い教皇政治の後に,イタリアの都市国家の隆盛に現れた人間中心文化への思潮である.キリスト教の戒律から解き放された市民の,知の創造,活用,実践へのあくなき希求であったといわれる.そして,その結果が,芸術,建築,都市,科学,文学など,人間のあらゆる表現に結実したのである.このような知り,学び,理解し,造り,描きたいという個の発現は,知の世紀を生きる我々にとってもそのまま当てはまる姿であろう.

加えて留意すべきことは,ルネッサンスは数世紀に渡る長い時間を要したわけであるが,その時代を生きた人々の心に明確な自覚意識があったことである.新世紀は,意志の時代と言われる.我々がどのような社会を構築するのか,意志を持って前に進む時代である.そして,それは,地域,文化,宗教,世代や性の差異を認め,個人の尊厳が担保される“個性化共生社会”,つまり,多種多様な個人の価値観,目的意識,生活様式を許容し,各々の文化や伝統を認めつつ,地球環境とも共生する社会である.

その成立にはエネルギーの有効かつ環境に調和した利用は不可欠である.そして,個性化共生社会におけるエネルギー需給を構想するとき,技術の提唱する一元的な価値のみならず,自ら学習し,多元的な価値を選択する,成熟した市民に応える必要があろう.高効率・多目的・多モードエネルギー供給を目的とした,我が家のエネルギーシステムを考える時代への意志である.世代を越えた共感が得られる,フレンドリィな小型分散エネルギーシステムは,民生用エネルギー消費の歯止めとしても機能するはずである.我が国が地球温暖化に対して国際的に責任を果たす,あるいは東アジアの中で負うべき役割の観点からも,その有力オプションであることは間違いない.

(コージェネレーション,Vol.16,No.1,2001,pp.7-11.)